Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

放射線治療終了

2010年10月29日

25回目の放射線治療が終了しました。
2Gy×25回で,50Gyの接線照射を終えました。

左胸に日焼けのような炎症の痕が残っていますが,強い痛みはありません。
炎症を起こしているので,シールを貼った×印は,自然に剥がれるまで強くこすらないように・・・
との事です。
治療が終わったぁ・・・とお風呂で思う存分擦ってしまいそうですが,
しばらくは,呪いの×印をつけておかなければいけないそうです。

5週間休まず通院し,皆勤賞です!といってもらいました。
長いと思っていた5週間でしたが,終わってみるとあっという間だった気もします。
毎日通ったリニアック室とも,技師や看護士さんともお別れです。
何か,一抹の寂しさを感じましたが,ここへ戻ってきてはいけません。

これで,局所治療は終了です。
私の癌は,やっつけられたのでしょうか?

来週は,外科の先生と『ホルモン治療』の相談です。
今度は長期戦の始まりです。



スポンサーサイト

リンパ浮腫講習会


乳癌手術の際リンパ節郭清を行うと,リンパ浮腫の起きることがあります。
すべての人に起きるわけではないのですが,15%~20%くらいの人に『上肢にむくみの症状』が出ると
手術前に説明を受けていました。
 
私は手術後にリハビリ科で,『リンパドレナージ』の指導を受けていたので,毎日入浴後にマッサージを
続けています。
今,浮腫が出ているわけではないのですが,少しでも浮腫予防になればと思っています。


2010年10月24日
主治医の先生から案内を頂いていた「リンパ浮腫講習会」に行ってきました。

乳腺外科,産婦人科の先生の「乳癌,婦人科癌とリンパ浮腫」についての講演,
リンパ浮腫指導技能者の先生の「予防と治療」についての講演。

続いてリンパ浮腫の経験者の方からの体験談を聞きました。

以前は,手術に伴って浮腫等の障害が起こるのは仕方ないこと・・・という対応で,
辛い症状が続いても我慢するしかなかったそうです。
ようやく症状を緩和でき,治療の出来る医療施設を受診することが出来,同じ悩みを持つ『患者会』
の中で,治療をがんばっているというお話でした。

その後,質問コーナーがあり,患者の方,家族の方から沢山の質問が出されました。

どの病院を受診すればよいのか・・・
主治医の先生の診断を信じてよいのか・・・
この治療法でよいのか・・・
家族ができることは・・・
手術から10年以上たっているのに,症状が出た・・・など


私は癌と分かって,まだ8ヶ月の付き合いです。

『癌』という病気の抱えている問題の多さ,病気と長く付き合っていかねばならない事を
思い知らされてしまいました。

会場で主治医のK先生と出会いました。
「今度,うちの病院でも,リンパ浮腫の外来に対応できる仕組みを作りますよ。」
と,意欲満々で,一緒に来られていた専門の看護士さんを紹介してくださいました。

本当は・・・お世話にならない方がよいのですけれど・・・と苦笑いでしたが・・・

幸いなことに,
私は,信頼できる先生や看護士さんに出会えています。
先生方や『病気』とは,これから長くお世話になること・・・と覚悟を決めないといけないのです。

湧永庭園

2010年10月11日

体育の日で祝日ですが,放射線治療室は開店です。

「祝日もあるんですか・・・!!」
と驚いてしまいました。
先生や技師の先生もお休みがないのですね。


9時半には終わり,秋晴れのよい天気です。
安芸高田市にある『Wakunaga Garden』に出かけました。

wakunaga4.jpg


湧永製薬広島事業所近くの丘陵地にあり,1993年開園した社員による手作りの庭園だそうです。
開園時期は4月から11月までなのですが,四季折々の花が咲き,入園無料なのが何よりです。

今はどちらかというとシーズンオフなので,人はまばらでゆったりとしていました。
春の花の時期やバラの時期は駐車場はいっぱいだそうです。

wakunaga3.jpg

睡蓮の花が咲いていました。
この睡蓮は,ジヴェールのモネ邸から倉敷の大原美術館に創立70周年記念に贈られたものを
株分けされたものだそうです。

花壇の秋の寄せ植えも手入れが行き届いていました。
wakunaga2.jpg

待合室で

毎日,放射線科に通院していると,同じ人に出会います。
癌治療で,20回から30回の治療回数なので,待合はいつものメンバーになってしまいます。

お疲れ様,体調はどうですか?・・・
あと何回ですか?・・・

と,声を掛け合えるようになってきました。
同じ病気と闘う同士なので,温かい空気に包まれています。


80歳の笑顔が可愛いおばあちゃんと毎日一緒になります。
辛そうな顔で待っている人もいるのですが,このおばあちゃんはいつも優しい笑顔です。
7月に,乳癌で両方の温存手術を受けたそうです。
自分で気づいて来院したこと,初期段階だったけれど,両側に腫瘍が見つかったこと・・
80歳で自己検診が出来るなんてすごいです。

65年前に,広島駅前で被爆したこと,10年前には子宮頸癌の手術をしたことなども,
穏やかな語り口で淡々と話されるので,つい治療後も待合室で話しこんでしまいます。


「なんで,自分がこんな病気に・・・癌にかかるなんて・・」と・・・
皆さん話されます。

自分自身も,『病気にかかった被害者意識』みたいなものは,考えても仕方ないとは思っても,
どこか頭の隅にあって,消えてはいかないものです。


おばあちゃんは,あっけらかんと

「癌になったのも,社会貢献よ!」

「だれも癌にならなかったら,病院の先生は職を失うでしょう・・・」

「この病院だって,この立派な施設だって,つぶれてしまうじゃないの・・・」


なるほど・・・あっぱれです!

私は社会貢献をしてるのか!・・・・・・・








放射線治療開始

2010年9月27日

放射線科のF先生の診察です。

少しウエーブのかかった長髪の髪形で,やわらかい雰囲気の漂ってくる先生です。
30代後半か40代・・でしょうか?

音楽家みたい・・・どこかでお会いしたような・・・と考えていると
5695.jpg

音楽室にある肖像画の・・・
『メンデルスゾーン』そっくりに思えてきました。

放射線治療について,いろいろ説明してくださいましたが,
私の頭の中では,どうしてもメンデルスゾーンの交響曲4番『イタリア』が鳴っています。
かなり不謹慎な患者です!

CT撮影をし,放射線室で照射する位置の確認をしました。
毎回同じ位置に放射線を当てるため,マジックで×印を三箇所・・・
その後,消えないために,シールに張り替えです。

25回の治療の1回目のスタートです。
リニアックという機械から,放射線が出ているのでしょうが・・・
目に見えない,無色の光,熱さも感じません。
ビービービー・・・と音だけが響いています。
両側から当てて,2分くらいで治療は終了でした。


家で娘に,胸のシールを見せると,
呪いのしるしだ・・・と面白がってくれました。

医師の鏡!

2010年9月21日

最後の抗癌剤の点滴から3週間立ち,今日から放射線治療です。

医療センターへ,紹介状を持って向かいます。
診察券を作ってもらい,放射線科へ・・・


ところが,放射線治療担当のF先生は,学会で1週間不在です。
放射線技師の方が,気の毒がって,わざわざ先生に電話をしてくださいました。


「3,4時間あったら,新幹線で帰ってこられるので,午後3時ごろにもう一度来られますか?」


「それって・・・わざわざ私のためですか?」

当たり前のような顔で
「そうですよ・・・」と

信じられないというのか,申し訳ないので,丁重にお断りし,
開始は1週間後の27日からと予約を入れました。

急患でもないのに,一患者に,そんな対応をして下さるなんて・・・
医師の鏡でしょうか?
どんな先生なのでしょう・・・
1週間後にお会いするのが楽しみになりました。


午後からは,病院のはしごをし,利尿剤を処方してもらいました。
3週間で,体重が4キロ以上増えてしまい,足がパンパンに浮腫んでいます。
足が重くて,正座も出来ません。
立派な太もも・ふくらはぎに成長していました。

化学療法終了

2010年8月31日

8回目の抗癌剤治療の日でした。

いつものように臨床腫瘍科へ行くと,看護士さんが
「今日で最後ですね。頑張りましたね。」
と,笑顔で声をかけてくださいます。


外科のK先生とは,次の放射線治療についての相談です。
放射線治療は,25回,毎日病院に通うので,近くの病院を紹介してもらうことにしました。


腫瘍科のD先生の診察です。
浮腫みが出てきているので,体重管理をきちんとすること,
3キロ以上増えたら,利尿剤を処方してもらうことなど,今後の対応などの話です。

血液検査の結果も問題なく,8回目の点滴は予定通りです。

D先生は,観音様の表情で
「これでで最後ですよ。もう来なくていいですよ。」と・・・

本当に,これで最後になるように・・・

時は進む

3年前に,6年生を担任していたときのことです。

卒業文集委員の子が
「先生の好きな漢字1文字は・・・・?」
と聞いてきました。

そうね・・・たくさんあるけど・・・

『進』かなぁ

進級,進学,進歩,前進,躍進・・・
進むという字には,前向きで,希望や夢があります。


化学療法は,ひたすら時が流れるのを待つ治療でした。
進むのが好きな私は,じっと待っているのは苦手で,いらいらしてばかりいました。

でも,私が待っている間に,時が確実に進んでくれました。
『待つこと』も『進む』ことかもしれないと思いました。

猛暑と副作用

今年の夏は,猛暑・酷暑・・・・です。
35度近い日が続いています。
お盆を過ぎても,一向に涼しくなる気配がありません。

日中外に出ると,太陽光線に殺されそうなので,
家の中でぐだぐだして過ごしてしまう日々が続きました。

抗癌治療3回目が過ぎ,副作用の出る時期や対応も分かってはきていますが,
体に疲れが溜まってきていました。

倦怠感・浮腫み,指先の痺れ,なみだ目・・・・・
『タキソテール』の副作用の説明書に出ていた症状がちゃんと出てきます。

8月を乗り切れば,残りは後1回・・・
化学療法のゴールが見えてきました。

鍵盤の貴公子オーエン

2010年7月7日

広島国際会議場フェニックスホール

ベルリン交響楽団のコンサートです。

抗癌剤の副作用で,行かれないかと心配していましたが,前日から何とか復活です。
危うく,S席9000円のチケットが無駄になるところでした。

曲目は
エルガー「威風堂々」第1番
ベートーヴェン「エグモント」序曲
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」・・・

メジャーな曲ばかりなので,肩が凝らずに聴けます。
1番の楽しみは,ピアノコンチェルト。
ピアノは31歳の金髪の『鍵盤の貴公子アンドリュー・フォン・オーエン』です。
ピアノに向かう姿は絵になります。

belrin3.jpg

若々しく,勢いがあり,情熱にあふれた演奏でした。
2楽章の情感溢れるメロディーは胸にしみました。

アンコールは,エルガーのエニグマより「ニムロッド」。

大好きな曲で感動です。

気持ちよく帰宅したのですが・・・
久しぶりに,お洒落をして,パンプスを履いて歩いたためか,
両足の小指に,巨大な血豆を作ってしまいました。



抗癌剤を甘く見てはいけない!

タキソテールの方が楽・・・という言葉が残っていたのか・・・?
やけにテンションが高い自分がいました。

投与後2日目,3日目は体がうずうずして,何かをしたくて仕方ありません。
じっとしていられないのです。

朝食の片付け,洗濯,掃除が終わると,庭に出て草抜きです.
夏の花の寄せ植えもしたくなり,苗を買いにいきました。
ゼラニウム,やポーチュラカの苗を買い,庭のトレニアのこぼれ芽を植え替え,寄せ植えの鉢を作ります。

庭に出ていると夢中になってしまい,つい時間を忘れてずっと外の作業を続けていました。

元気で充実した日が2日続き,満足していました。

投与後3日目・・・
夕方から体が重く,夕食の支度がやっとです。
体が重いのは,庭仕事をしすぎたせいかな・・と思っていました。

投与後4日目・・・
朝から関節痛がひどく,起き上がれません。
何を食べても味がなく,食欲もありません。
体がずっしりと重く,ずっと横になっていました。

投与後5日目・・・
朝起き上がると,ひどい貧血。
急に腹痛。大量の汗。
目の前が真っ暗になり,嘔吐してしまいました。

5日目がピークでしたが,貧血のような症状と眩暈は続きました。


抗癌剤を甘く見ていました。


後から分かったことですが,あのテンションの高さは,
副作用を抑えるための薬『デカドロン』の影響だったようです。
デカドロンはステロイド剤で,吐き気やむくみを抑える作用がありますが,
気分の高揚や逆に落ち込みもあるそうです。

それから,4回の投与でも,2・3日はハイテンションでした。

第2の抗癌剤

2010年6月29日

AC療法の4回が予定通り12週で終わり,今回からは,別の抗癌剤に変わります。

タキソテール(ドセタキセル)という治療薬です。
乳癌の治療では,AC(アドレアシン+エンドキサン)の後にタキサン系の治療薬を使うと,
AC単独治療よりも手術後の生存率が有意になっているそうです。


AC療法と同じように3週間ごと,4回のちりょうが始まりました。

薬が変わったので,先生,看護士さん,薬剤師さんから副作用の説明を受けました。

「タキソテールの方が,ずっと楽ですよ。」
「吐き気は少ないです。
「むくみや痺れが出ることがあります」

今回の方が楽なんだ・・・という言葉が頭に残ります。

何といっても,今回の抗癌剤の色は無色透明です。

赤い毒薬をもう入れなくていいと思うと,
気持ちが軽くなりました。


読書三昧

読書大好きです。

読み始めると止まらなくなり,徹夜をしてでも読みきってしまいます。
若い頃は,少々徹夜をしても次の日の勤務に支障はなかったのですが,
最近は,ふらふらになってしまうので,平日は本を手にしないようにしていました。

学校での『朝の10分読書』って・・・読書人口を広げるには効果があるのですが,
すでに読書好きの子には酷です。
物語の世界に入り始めた頃に・・・・「はい,終わり」で,朝の会や授業が始まります。
一応,分からないように,机の下に本を広げて,いつまでも読んでいる子がいますが,
気持ちはよく分かります。

そんな子を見つけると,今は,さりげなく注意することができますが,
20代の「迷惑な熱血教師」の頃は,鬼の首でも取ったように,
「もう読書タイムは終わったでしょう!!」
と,大きな声で怒っていました。
「本の好きな子を育てよう!」どころか,読書嫌いにしてしまっていたかもしれません。 


さて,私は病休で家にいるので,時間はたっぷりあります。

入院中に『北村薫』を読んだので,次はどの作家を読み直そうか・・・と


読み出すと,当分抜け出せない『村上春樹』の本を手にしました。
村上ワールドを読み始めると・・・・・『深い井戸』の中に入ってしまいます。
何十年ぶりか・・・『ノルウェイの森』を読みました。

以前読んだときには気にも留めなかった言葉が,心に残ります。

寮の上級生の永沢さんが僕に忠告した言葉・・・

「自分に同情するのは,下劣なやつのすることだ!」

そうです!
自分のために泣いていてはいけません。

ノルウェイの森は映画化され,12月に公開という記事を見ました。
僕(ワタナベ君)が松山ケンイチ,直子が菊池凛子・・・・?!
映像化されると,どんな『村上ワールド』を出すのでしょう・・・
永沢さんは玉様(玉山鉄二)です!


メンタルアドバイザーの先生

小学校に月1回,メンタルアドバイザーのM先生が来られます。
子ども,保護者,職員など,誰でも相談できます。


養護教諭の先生が,以前から
「とってもいい先生よ,豊富な経験をお持ちなので,みんなで話を聞こう。」
と話しておられたのですが,授業日の午前中なので,なかなか話を聞く機会がありませんでした。


5月12日
2回目の治療から3週間目に入り,ひどい副作用はぬけ,体は元気です。
病休中ですが,たまには学校の空気を吸うのもいいかと思い,出かけることにしました。


相談室でM先生に,乳癌と診断されたこと,手術や今の治療のことなど話していきました。

すると・・・・

涙が次から次へと出てくるのです。
今まで,自分の中に閉じ込めておいたものが,堰を切って流れ出すかのように・・・


初めて,自分の病気のことで泣きました。





ウイッグデビュー

髪の毛がまばらになってしまったので,ウイッグの登場です。

お友達の美容室で,ウイッグをカットしてもらいました。

購入する時に,
「毛先が痛むので,カットできるように,長めのにしておいた方がいいですよ。」
とアドバイスしてもらっていたので,セミロングのウイッグです。

前髪を整えてもらいウイッグをつけると,変身した自分がいます。
以前の私の髪より,長くなりましたが,結構,自然な感じです。

ご主人の店長さんにも
「可愛い感じになったね。似合っていますよ。」
と声をかけてもらい,うれしくなりました。
お世辞でもほめてもらうとうれしいです。

同僚の先生にも,
「髪形変えたの?イメチェンしたね・・・」
と言われました。
ウイッグだと聞かなければ,分からなかったそうです。

なんと,両親も気づかないのです。
視力が弱くなっているとはいえ,娘の髪型の変化に気づかないなんて・・・
抗癌剤治療のことも話していないので,何も言われないのでほっとしましたが,
ちょっと寂しい感じもしました。

ウイッグだと気づかれたら,
「ストレスで円形脱毛になったから,かつらにしてみたの・・・!」
と話すつもりだったのですから・・



髪の毛がなくなる!

副作用の中で一番心配していたのは『脱毛』です。

外科の先生,腫瘍科の先生,看護士さん,薬剤師さんからも

「髪の毛は抜けます・・・」
「ほぼ100%の人が抜けます・・・・」
「髪の毛だけでなく,眉毛やまつげなど全身の毛がぬけますよ・・・」
と言われていました。

抗癌剤投与後,2週間過ぎた頃から抜け始めると聞いていました。


吐き気は治まり,生き返ったものの,髪の毛のことが気にかかります。
ついつい,髪を引っ張って確かめたりしていました。
ウイッグや帽子は一応用意はしていたものの,自分の髪の毛がなくなるということが想像できません。


13日目から,少しずつシャンプーの後,抜け毛が多くなってきました。
3週目になると,どんどん抜けていきます。
毎日,ごっそり抜けるので,いつまでもシャワーが止められない状態でした。
引っ張るたびに抜けていきます。ゴミ箱が,髪の毛でいっぱいになりました。


1週間位抜け続け,抗癌剤2回目の投与の時までには,ほとんどなくなっていました。


なくなるといっても,つるつるになったわけではなく,
ぱらぱらと髪の毛が残っている状態です。

広島の平和記念資料館の展示に,原爆の放射能被害を受けた少女の写真があるのですが,
その髪の毛とそっくりなので・・・
私は自分の髪を『被爆した少女』と呼んでいました。




生き返った!

いつまで続くのか・・・と心配していた吐き気でしたが,
5日目をピークに,次第に治まり8日目には全くなくなりました。


8日目には,頭も軽く・眩暈もなくなり

『生き返ったぁ・・・・・・!』と叫びたくなりました。
毒が抜け,元の状態に戻った幸せを感じていました。


2クール目からは,1回目の反省を元に,先生と相談して
早めに吐き気止めの薬を飲むことにしました。
同じように吐き気はありましたが,嘔吐を繰り返すことはなくなりました。

投与して1週間を過ぎると,ほとんど普通の状態になり元気に過ごせることが分かりました。
ただし,2週間目ぐらいに自覚できない『骨髄抑制・白血球の減少』が起きているので,
感染には注意が必要です。

副作用始まる

抗癌剤を投与して3日目までは,食後のムカムカ感は多少あるものの思ったより元気で,

これなら,大丈夫・・・・と過信していました。

しかし,
4日目の午後から,なんだか体が重くだるいので,横になっていました。


5日目の深夜です。下痢が始まりました。
朝になっても食事もとれず,ベッドでごろごろしていると,吐き気が襲ってきました。
嘔吐を3・4回繰り返し,手足が冷たい状態になりました。
何度も吐き気を感じます。
『プリンペラン』を服用するのですが,すぐに吐いてしまいました。
『ソラナックス』を服用し,ようやく落ち着いて3時間くらい眠っていました。

恐れていた副作用が訪れました。
1日食事が取れずぐったりです。

いつまで続くのだろうか・・・と考えていました。

副作用の説明

『抗癌剤』・・・と聞くと強い薬で『重い副作用』というイメージがあります。


看護士のKさんは,
「10年前のことを考えると,今は信じられない位楽になっているのよ。」と・・・

副作用を抑える薬がどんどん開発されているので,
日常生活を普通におくりながら,外来通院で治療ができること,
個人差はあるが,ずっと苦しい状態が続くわけではないので,
副作用の出る時期を自分で知って対応できること・・・・などを話してくださいます。


薬剤師の先生も,治療室に来て,点滴の間に冊子を元に,
一つ一つの副作用と対策について丁寧に説明をしてくださいます。


しかし・・・
出ないお化けを怖がっても仕方ないのですが,


私の体にどんな副作用が出るのだろうか・・・
家で一人でいるのに,大丈夫なんだろうか・・・ 不安です!

『入院!』という事態になってもいいように,
押入れの中に入院セットを入れたバッグを用意していました。

化学療法開始

2010年4月6日

今日から,抗癌剤による治療が始まりました。

臨床腫瘍科で,

身長・体重・血圧を自分で測ります。
右腕に,プラスチックの軟らかい針のついたチューブを挿し,採血をします。
点滴用のチューブは,そのまま腕に挿してゴム包帯でとめてもらいます。


血液検査の結果が出る間,1階の外科でK先生の診察です。


診察が終わると,もう一度3階の腫瘍科に戻ります。

腫瘍科のD先生の診察です。

血液検査の結果の説明を受け,抗癌剤の点滴が可能なことを告げられます。
副作用について,処方された薬について,自宅での対応の仕方,来院すべき症状について
などの説明を受けました。

1回目は,心エコーの検査もありました。

イメンドカプセルという制吐剤を飲みます。(吐き気止めの新薬です。)
抗癌剤の調剤が出来るまで,待合室のロビーで待ちます。

40分ほど待つと,治療室で点滴が始まります。
快適なリクライニングシートで点滴を受けることが出来ます。


私は,まず『AC療法』という抗癌剤治療を受けました。

アドレアシン(ドキソルビシン)とエンドキサン(シクロホスファミド)という
抗癌剤を使う治療です。
3週間ごとに4回の点滴を受けるスケジュールです。


アドレアシンは真っ赤な色をした液体で,点滴の管から体内に入ってくるときには,
緊張しました。

抗癌剤の色が独特なので,私は『毒薬』と呼んでいました。



休む鳥 跡を濁す!

学校の年度末は,恐怖の忙しさです。

それでなくても,仕事があるのに,1ヶ月休んでいます。
残務に追われる毎日でした。


今年度の仕事に決着をつける・・・のに加え,
来年度の準備もあります。

教務から,さまざまな提案が出ないと,新年度のスタートが切れません。


4月1日からは病休です。
3月31日に終わるのでしょうか・・・


化学療法は,4月6日から始めることになっていました。


結局・・・
透明人間?になって学校へ行き,
4月4日にようやく引継ぎを終えたのでした。


またお休みするの?

「先生元気になってよかったね。」
と,廊下で子ども達に声をかけられます。

6年生は卒業しても,学年末まではまだ2日残っています。


「音楽の授業あるんでしょう?」
「リコーダー上手になったよ!」
「チャレンジカードにシールはってね!」
と,きらきらした目で話しかけてきます。

また休むことを伝えなければいけないのですが,
なかなか言いにくいものです。

このまま,黙っていようか・・・・とも思うのですが,
喜んでくれている子ども達に嘘をつくようで,胸が痛みます。


自分の病気のことを,子どもに伝えるのは本当に難しいと思いました。


最後の授業です。

「先生ね・・・手術をして元気にはなったんだけど・・・」
「もう少し,病院で治してもらわないといけないんです。」
「今度はね。前より長くてね・・・4月から12月まで9ヶ月の間,お休みすることにしました。」
「クリスマス・お正月が過ぎて,冬休みが終わった頃に帰ってくるね!」


目をまんまるくして聞いてくれます。

「先生・・・ またお休みするの?」

「9ヶ月なんて,我慢できない・・・」
と,涙ぐんでくれる子もいました。


病気を恨んでも仕方ないのですが・・・
何で,私が癌になったんだろう・・・と悲しくなりました。






卒業式

卒業式は,学校の中で特別な行事です。

この6年間の成長は人生の中で,一番変化に富んでいると思います。
6歳から12歳までの6年間で,幼児から思春期の入り口までの成長です。

今の学校での勤務はまだ2年なのですが,
赴任してきたときには,わんぱく5年生だった顔が,大人びた顔に変わってきています。


6年間の小学校生活を終えて,巣立っていく子ども達・・・
この式場に戻って来れたことを,幸せに感じました。

しかし,感慨にふけっている暇はありません。


入退場のBGM
緞帳の上げ下げ
卒業証書授与のBGM
マイクの音量調整
ピアノ伴奏
時間の調整・連絡
放送・・

あわただしく時間が過ぎ,式は無事に終了したのでした。


快晴の青空の下,校門前で卒業生や保護者が写真撮影でにぎやかです。

「先生! 一緒に撮ってください。」
「先生!元気になってよかったね。」

旅立ちの明るい笑顔です。


子ども達の声を聞きながら,これからの事を考えていました。



いったん職場復帰しよう

化学療法をする・・・と決めたので,病休を延長しなければいけません。

学校には,1ヶ月の病休の届けを出していました。

子ども達には,
「1ヶ月したら,帰ってくるからね。」

特に,6年生には,
「卒業式の前日に戻ってくるね・・・」
「みんなの卒業式には,ピアノを弾くよ。」
「ちゃんと歌いこんでおいてね。」
と話しています。

どうしよう・・・

このまま休んで治療に入った方がいいのか・・・・
それとも,いったん学校に戻ろうか・・・

ダンディ校長も,この3月で退職です。
校長として最後の卒業式になります。

教務の仕事も,とりあえずほったらかして,任せたままになっています。

子ども達との約束をきちんと果たしたい,教務の仕事もけりをつけて引き継ぎたい・・・
と思い,予定通り19日からいったん復帰することにしようと思いました。

3月15日
久しぶりの学校です。

ダンディ校長に,手術後の診断結果のこと,これからの治療のことを伝え,
いったん復帰し,4月からまた病休を取らせて欲しいことを話しました。

3時間目
6年生が体育館で卒業式の練習をしていました。
私が入院の前日に,フルスピードで教えた『流れゆく雲をみつめて』の歌を歌っています。
1ヶ月,しっかり歌いこんで,きれいな2部合唱になっていました。

私の帰ってくる場所は,やっぱりここ・・・
何もなかった1ヶ月前に戻りたい・・・と思いましたが,
冷静に現実を受け止めなければいけません。


卒業式の前日復帰は不安なので,あと2回残っている全体練習に参加させてもらうことにしました。

まずは,鈍った指のトレーニングとピアノの練習です。

治療の決定

治療の決定は自分が行わなくてはいけません。

主治医の先生は病気の状況を説明し,最善の方法を提示してはくれますが,
最終的に決めるのは自分です。

私の癌は,グレーゾーンです。リンパ節に3個転移していました。
『転移』という所が一番気にかかります。

「転移4個以上は絶対だけど・・以前は1個でも転移があると化学療法をしていたよ・・」
「3個というのは微妙だね・・・」
「再発のリスクを考えると,今出来る最善の治療をした方が・・・」
「今は,完治をめざす治療だけど,再発したら延命治療しか出来ないよ。」
「再発したときに,あの時治療しておけば・・・と後悔しないためにも・・・」
「自分の妻なら,絶対にやらせます!」

とK先生は,『化学療法』薦めます。

以前は,外科の先生が手術以後の治療もすべて担当していたそうですが,
今は,『チーム医療』という形で沢山の先生が関わっています。

『臨床腫瘍科』の先生の話も聞きに行くことにしていました。
腫瘍科に向かいます。
紫のゆったりしたソファーが並んだ,落ち着いたロビーで待ちました。

臨床腫瘍科のD先生も,私の症例はどちらを選択するか判断に迷うケースであること,
再発のリスクは高いので化学療法を選択する方が望ましいことを話してくださいます。

「どうされますか・・・・」

と観音様のような穏やかな顔で,じっと待っておられます。
不安だけれど・・・・やることを選択するしかありません。


どんな治療をしても,『絶対に治る』ということはないのかもしれません。
でも,そのとき最善だと言われた治療をやらないで再発したのと,
最善な治療を行っても再発したのでは,違うような気がしました。

後悔しないためにも,今の事態を受け入れることにしました。

私のモットーは
『最善を尽くす・・・でも,結果は受け入れる』でしたから・・


命の確率

2010年3月12日

今日は,『化学療法』をどうするかを決めなければいけません。

Aduvant! Online(アデュバント オンライン)というのは,沢山の癌患者のデータを元に,
10年後の生存率や,再発率を数値として導き出すソフトです。

データーの時代です。
コンピューターが『生きられる確率を』出してくれるのです!

年齢,癌の性質を入力すると10年後の『生存率』『再発率』が

①治療を何もしなかった場合
②ホルモン療法のみ行った場合
③化学療法のみ行った場合
④両方の治療を行った場合

と,4つに分類して,打ち出されるのです。

私の場合は

10年後癌で死亡する確率
①16.7% ②11.8% ③11.6% ④8.2%

10年後の再発率
①36.4% ②18.3% ③24.3% ④12%   と出されました。

この確率を,どう考えたらよいのでしょう?

数%の事なら,副作用が強い,辛い『化学療法』はやめるのでしょうか・・・
1%でも可能性があるなら,すべての治療をやるべきなのでしょうか・・・



癌には顔がある!

2010年3月10日

診察のため,病院を訪れると,病理検査の結果が出ていました。

癌には色々な性質があるのです。
自分の細胞が突然変異でがん細胞に変化してしまうわけですから,
癌はその人独自の顔を持っているのかもしれません。


・ER(ホルモン受容体があるか) 
・HER2(HER2タンパクが乳癌の増殖に関与しているか)
・MIB-1(増殖スピード)
・腫瘍の大きさ
・リンパ節転移の数
・核異型度

などの項目ごとに,説明を受けました。

これからの治療はどうなるのでしょう。
乳房温存手術をしているので,『放射線治療』は必ず受けます。
ER(ホルモン受容性)プラスの性質を持っているので,『ホルモン剤による治療』も可能です。


問題は,『化学療法』です。抗癌剤による治療が必要なのか?という所です。

私の癌は,グレーゾーンの顔を持っていました。
「絶対に,化学療法をしなければならないケースではないけれど・・・」
「リンパ節に3つ転移があるし・・・」
「判断が難しいケースだねぇ・・・」
と先生も言われます。

「生存率と再発率が分かるソフトがあるので,腫瘍科の先生とも相談してみましょう」

「生存率!?」「再発率!?」
という言葉を聞くと,ドキッとします。


2日後に来院する予約をとり,帰宅したのでした。
自分でも,もう少し調べてみなければいけません。

最善を尽くし,結果は受け入れる

「追い求めれば夢は叶う」
「やればば出来る」
「努力は必ず報われる」・・・よく言われる言葉です。

しかし,人生,成功ばかりではありません。
上手くいかなかったり,失敗の方が多いです。

小学校の子ども達はよく失敗し,上手くいかず,挫折します。
最近,思春期の入り口である高学年を担任することが多かったので,
落ち込んでしまい,なかなか立ち直れない姿に出会うことが度々ありました。

私は教師として一番辛いのは,
『やりたい』気持ちが100%あり,ひたむきに努力していても,やらしてあげられないときです。
でも,現実を受け止めなければ,次へは進めません。

最後の運動会。リレーの選手になりたくて,毎日人一倍の努力をするA君・・・
でも,0.1秒差のタイムで今回も選手にはなれません。

発表会でピアノの役になりたくて,早くから楽譜を取りに来て,猛練習をするBさん・・・
ピアニストのオーディションの結果,落選です。



『最善をつくす・・・・でも結果は受け入れよう』

この言葉は,いつも私が子ども達に話していた言葉です。
『夢』を持ち,努力する姿,がんばる姿は素敵です。でも,目の前の夢は叶わなくても,
結果はいじけずに受け止め,また次の目標に向かっていって欲しいと思っています。

やりきった時には,後悔は残らない・・・はずです。



がんサロン

診察の時,K先生から『がんサロン』のチラシをもらいました。

「癌=怖い病気」

というイメージがあるので,初めに聞いたときは,サロンという言葉に違和感がありました。

今回のサロンのテーマは「アロマテラピー」です。
診察でせっかく病院に来たので,参加してみることにしました。

「ほとんどが乳癌の患者さんだよ」
と先生が言われていましたが,明るい空気にびっくりです。
30代位から70代位の方まで,癌を患っているとは思えない明るさです。

講師の先生のお話を聞き,自分の好きな香りのエッセンシャルオイルを選びました。
20mlのホホバオイルにベルガモット3滴ととラベンダー1滴をたらします。
柑橘系のさわやかな香りです。
二人一組になって,ハンドマッサージの実践です。
ペアになった方は,今抗癌剤による治療中とのこと。小学生,幼稚園の子どもさんがいるので大変です。
「ずっと気分が滅入っていたけれど,最近ヨガを始めて少し元気になった。」
と話してくださいました。

私は,これから,どんな治療を始めるのでしょう・・・
まだ,『検査の結果待ち』の宙ぶらりんの状態です。

こんなに元気にしていられるのか・・・?
化学療法の副作用は・・・?
仕事は続けられるのか・・・?
治療の期間は・・・?

聞いてみたいことがたくさんありました。

がんサロンには,先生や看護士さんも参加されていました。
検査・診察や治療だけでなく,学習や交流の場にも出ておられることに驚きました。

臨床腫瘍科の看護士Kさんと隣の席になったので,思い切って質問をぶつけてみました。
特に,気にかかっていた化学療法について,詳しく話してくださり,抗癌剤治療のイメージを持つことが出来ました。

副作用への対応も年々進歩していること
ずっと苦しいわけではなく,個人差はあるが数日であること
髪が抜けても,ウィッグでおしゃれを楽しんでいる人が多いこと
体調に合わせて,仕事も続けられている人もいること・・・・

など,不安いっぱいの私に,丁寧に語りかけてくれます。


アロマの香りと優しい言葉に包まれて,少し気持ちが楽になりました。

病院では,月に1度『がんサロン』が開かれているのですが,
副作用の出る日の関係で,その後参加できていないのが,残念です。


同じ病気の人と話すと,元気をもらえます。
だから,『サロン』なのでしょう。













退院して

2010年2月26日

「すべての検査結果が出るのは,2週間後です」

退院許可が出て,10日の入院を終え家に帰ってきました。
入院していると『病人』になってしまっていましたが,
家に帰ると,いつもの自分に戻ったような気がします。

体は・・・思うようには動きませんが,あせらずゆっくりです。

『病気』になったのは変えることの出来ない事実ですが,
『病人』になりたくない・・・と思っていました。

ドレーンを抜いてもらうと,外に出せない浸出液が溜まります。
左胸は,見事に腫れてきました。
重くてだるいので,通院で抜いてもらいます。

2週間の間に,5回病院に通いました。
注射器で針を刺すと,70ccから100cc位の液が抜けます。

家では家事をし,時々通院しながら,検査結果が出るのを待ちました。





Appendix

プロフィール

みゅーじっくT

Author:みゅーじっくT
小学校の音楽教師です。

ちょっとメタボのターリンと二人の娘,愛犬?の4人と1匹の家族です。

2010年2月に『浸潤性乳管癌』と診断され,左乳房温存手術と腋窩リンパ節郭清を行いました。

日々の思いを綴っています。

最新記事

FC2カウンター

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。